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かたよらない心・こだわらない心・とらわれない心

2017.03.29.23:04


これは高田好胤(たかだこういん、法相宗の僧侶・薬師寺元管主)という方が般若心経はこういうことを言っているのだと簡潔に表現したものです。これを見たときに、あ~これかもしれないと思いました。
 何かやろうとするとき、自分の中にジャッジしようとする心が現れます。絶対にこうでなくては、これは良くない、これは良い、あの人は変だ、あの人はいい人だ、ついつい、良いことや正義を振りかざして、そういうことをやっていない人、自分と相性が悪い人や、悪いと言われる物に対して悪意をもったりします。でも本当は必要があってすべて存在するわけで、陰陽で考えれば、悪があるから善がみえる訳です。そういう意味では、悪の部分や暗い部分を演じることを担ってくれている物や人には最大限感謝したほうがいいのかもしれません。(先ほどの大規模農業もそうかもしれませんね(笑))
有機農業では、化学肥料や農薬は使いません。これは身体に害を及ぼしたり、畑の微生物も減り、ミネラル分やマンガンなどの微量要素が少なくなり、土の地力を下げ、ひいては野菜のエネルギーも落ちるからです。ですから私たちがこれを使用するわけではありませんが、農薬が、化学肥料をつかっている人達を「あいつらは~」みたいに非難するのもどうかと思います。周辺の地元の人たちは自分たちが口にする自給用でも使っている人がいます。(農協は農薬をかけることを「消毒」と言って指導しているで、地元の人も農薬をかけることを「消毒する」と言います。自給分の野菜には消毒しない、という人もいます。)
種についても、なるべくは固定種の野菜のほうが、変に甘く甘く改良品種化された野菜よりもよいかもしれませんし、うちも自分でできるものは自家採種したり、固定種の種屋さんから種を買ったりしていますが、F1(改良品種)の種も使っています。自分の暮らしている環境のなかで「良くない」と思われるものをどんどん否定していくと本当に苦しくなってきて、自分が生きていることさえ否定したくなります。私の友人は、学校を卒業後20代前半ですぐに純粋な有機農業の世界に入りましたが、実家に戻った時に地元の友人と楽しくおしゃべりしながらポテトチップスが食べられないと悩んでいました。どのような理由かわかりませんが、その後に自分で死を選んでしまいました。
自分が幸せでなければ、他人を幸せにすることも難しいでしょう。まずは自分が楽しくできることを優先にしたら、かなりの部分は解決してくのではないかと思います。わたしたちも自分たちが楽しくできる農業の形が、一番食べてくださっている会員さんに最大限のポジテイブエネルギーを送ることができるのではないかと思っています。そうすると「こだわらない」という心も必要なような気がします。
全体がおかしくなっているこの世界の中で、「自分だけ」安全な世界で暮らすこと自体が難しいのです。闇を遠ざけようと、両手で押して押しても、お風呂のなかのお湯のようにまた勢いよく自分に戻ってきます。ですからある一定程度すべて一度受け入れてみるという姿勢が、返って心や体の健康の秘訣なのではないかという気がしてきました。
「かたよらない心・こだわらない心・とらわれない心」
真をつく、この言葉が妙に心に沁みます。
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小さな農家から野菜を買って農家の暮らしを支えることは、一番の暮らしの安全保障

2017.03.29.23:04


みなさんはもうすでに私たちのような小さな農家から野菜を買ってくださっているので、改めて書くまでもないかと思いますが、昨今の農業の状況があまりにもひどいので少し書きたくなりました。地元の八郷で、今大きな企業が大きなハウスを何棟も建て、ベビーリーフを栽培をはじめているそうです。(どうも大手のスーパーに有機野菜として出荷するようです。)国や行政はこのような大きな農業に対しては補助金をバンバン打っているそうです。種まきから収穫まで機械でするため、地元での雇用はほぼ生みだしません。肥料も有機質肥料を大量に調達するため、今まで肥料をもらっていた小さい農家さんはもらえなくなる可能性もあります。企業の暴力が農村にも押し寄せてきています。ボタン一つで済む農作業のどこに人間らしさがあるのでしょうか?その野菜は本当の意味で、食べる人の命を養うエネルギーをもったものになるのでしょうか?スーパーのカット野菜は塩素で消毒してあるそうです。(カット野菜の工場でバイトをしている人に目がチカチカすると聞きました。)便利便利と言いつつ、毒をふりかけて売ってしまう、命を養う食べ物を、大企業が「【商品】を売ってたくさん儲ける」という大きなシステムの中で流通させていくこと自体がやはり何かおかしいような気がします。
 うちが借りている農地の面積は約1町歩2反くらいです。八郷の有機農家のなかでは小さいほうです。夫婦だけでやって、うちのように種を一粒一粒手で播いているような状況では、これくらいの面積で精いっぱいです。ただ小ささがよいとも言えます。野菜に対してひとつひとつに愛情を注げます。血のつながっている親戚や家族を思うように会員さんを思いながら、箱詰めしたり、収穫したりできます。身体を使った手作業は楽しく、種をひとつひとつ地面に落とすだけでも喜びがあります。つまり、喜びのうちに仕事をし、その喜びも野菜と一緒に会員さんに届けることができるというよい点もあります。一つの小さな農家が支えられる家族の数は本当に限られているかもしれませんが、そんな小さな農家さんがたくさん存在できることが一番の農業のあるべき姿ではないかと思いますし、それが日本の一番の安全保障と思われます。いつも支えていただきありがとうございます。

野菜の声

2017.03.29.23:03

●野菜の声
去年の暮れ、寒さの中で、9月に播いて一気に虫にやられ、播きなおした小さなターサイに、寒さよけにと思い、防虫ネットをかけていました。その隣には京水菜、、これもまた9月にたくさん播いたのですが、全部虫に食べられ、播きなおしで、同じように小さな京水菜がありました。時間がなかったので、取り急ぎターサイだけ防虫ネットをかけて、、と思って杭を地面にさしていたら、「いいな~」と声がします。ん?と思ったら、お隣の京水菜でした。そっちもかけてやんなきゃな~とは思っていましたが「いいな~」とはなんとかわいらしい。思わず顔がほころんでしまいました。10年経ってようやく野菜の声が聞こえるようになったかとうれしくなりました。

2017年のふたば自給農園★今までとこれから

2017.03.29.23:02

●ふたば自給農園  今まで と これから
2007年から2年半同じ八郷内の瓦谷で一人で農業を始めて、7年半前に結婚を機に今の住処に移り、昨年で「ふたば自給農園」と名乗り始めてから早いもので10年経ちました。
 特に今の菖蒲沢に引越してからは、灯が消える前に、、ということで、現在で80歳以上の地元のおじじやおばばに昔に暮らし方、田んぼのことなどの話を聞いたり、一緒に作業したりという時間を意識的にとってきました。友人に手伝ってもらって、映像などの資料として残す作業もしました。
今85歳代くらいの人々の祖父母は、昭和30年代くらいまでの自然と共に永続性のある暮らしを営んでいた人々です。今はもうそのおじじおばばたちも、だんだんと弱ってきて、あのタイミングで話を聞かなければ、日本人が昔からどうやって暮らしてきたかということを直接知っている人から話や体験を聞くことができなかったと思います。また3・11の福島の原発事故を契機に、八郷の仲間で、八豊祭を企画し、その中でも前述のおじじおばばに登場していただき、藁ないや、たわらぼっち(俵の蓋の部分)、鍋敷きのつくり方を教わったり、昔の暮らしの話をしていただいたり、と大活躍してもらいました。原発事故でぺしゃんこになった自分の心を立て直すために、この5年間は地元の文化や暮らしを知り、昔の日本人がどんな精神性で自然と共に生きてきたのかを感じることを大切にしてきました。ただ、八豊祭は一定の役割と終えたということで、内山節さん(うちやまたかし・ローカリゼーションの研究をしている哲学者・「日本人はなぜキツネにだまされなくなったか」という名著があります。)の講演を最後に5回目で終了しました。私のなかでもやるだけのことはやったという満足感ともうこれだけたくさんのもの(心のプレゼント)をいただいたら、もらいすぎだという感覚です。
みなさんにしてみれば、もっと畑や野菜作りに集中してほしい、、という気持ちもあったかもしれません。その点では大変申し訳なく思っていますが、八豊祭もおじじおばばから昔の暮らしを聞くことも、畑や野菜との関わり方に少なからず影響を与えたと思っています。この5年間は野菜を作るための「精神的土台」を築くために費やしたといってもよいでしょう。遠回りだったかもしれませんが、私たちはこういうことが一番大切なことと考えています。
そして今年を迎え、ふたば自給農園はあらたなステージにようやく立てると感じています。
畑の新しいやり方もいろいろ考えているところですが、昨年後半から、今までいただいていた豚糞のもみがら堆肥から、鶏糞の肥料に替えました。豚糞は窒素分が多く畑を冷やし、鶏糞は窒素・リン酸・カリ分が均等に含まれ畑を温めるといいます。もちろんこれだけでは長い間放置されたり、化学肥料や除草が使われていた畑は一気になかなかよくならない(作物のよくできる畑はなかなか借りれません)ので、今の畑の面積や私たちの労働形態に合ったやり方で、微生物や酵素液を使った発酵ぼかし肥の使用や炭素分をどうやってうまく入れられるかなどいろいろ試していこうと思っています。(昨年はやろうと思ったら農繁期に私が身体の調子を崩してまったく準備できず、、、)それこそ昔の人がどうやって畑をやっていたのかが一番参考になりそうです。これからが正念場です。いつも応援ありがとうございます。

その季節の畑や土と相談しながらの料理~自給的に食べることの意味~

2016.03.19.07:55

●その季節の畑や土と相談しながらの料理~自給的に食べることの意味~
私たちの野菜を年間通して食べていた方はよく感じることかもしれませんが、季節によって同じ野菜が続くときがあります。夏や冬はその傾向が強いかもしれません。とはいっても一年中暑い国であれば、更に種類は減って一年中同じ野菜を食べることになるかもしれません。日本は気候風土が豊かで春夏秋冬という季節があり、もっと細かく言えれば二十四節季というふうに二十四にも細かく分かれてその時々風土の特質が変幻しながら流れていきます。日本人の心遣いが細やかであったりするのも、こんな季節に一年中合わせて暮らしていける変幻自在性をもっているのだからなるほどと思います。毎日畑に通っているとこの二十四節季も深くうなずける暦であるなと感じます。
体が必要な栄養分やエネルギーなどを効率よく採る一番よい方法は、その時の気候に対応して育った野菜を食べるということ、その季節にたくさんあるものを食べるということです。気候によっては不作の野菜がでてくることもありますが、これは気候的にはその野菜はあまり食べなくてもよいという意味だと言っている人もいます。それほどわたしたちの体は自然と一体化しているのですね。というより、完全に人も自然そのものなのです。
その季節季節の旬をたっぷり体に入れてあげてください。レシピから料理するのではなく、その季節の畑や土と相談しながら料理してください。料理は芸術です。例えば、夏ではトマトピューレを使うカレーやスープを、冬では人参のピューレで作ってみるなど、季節が変わっても、似た性質・味わいを持つものもあります。そこからはご自分の想像力、創造力を楽しんでください!そして疲れた時はひたすら同じ料理(小松菜だったらお浸しなど)を続けてください。調味料はたくさん使う必要はありません。質の良いもの少し使うのがコツです。それだけでも体が芯から元気になってくるのを感じるはずです。
プロフィール

縄文ふたば

Author:縄文ふたば
茨城県石岡市(旧八郷町)で百姓暮らしをしています。日々畑と会話し、いろんなことを教えてもらっています。

 1968年に愛知県に生まれる。約10年、障害をもっている人ももっていない人も共に地域で生活し、働くということで活動している市民団体「わっぱの会」(名古屋)で生活支援の仕事をする。2005年スワラジ学園で半年、あとの半年は鹿苑農場で研修生として、1年間百姓暮らしを学ぶ。2006年10月から石岡市(旧八郷町)に住み、百姓暮らしを始める。

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電話/FAX:
0299-42-3771
メール:
yurifutaba@y7.dion.ne.jp
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